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大阪地方裁判所 平成4年(ワ)1283号 判決 1996年3月22日

原告

真壁遼治

被告

隈原盛夫

主文

一  被告は原告に対し、金三二一六万七四九〇円及び内金二九一六万七四九〇円に対する平成元年二月二六日から支払ずみまで年五分の割合による金員を支払え。

二  原告の被告に対するその余の請求を棄却する。

三  訴訟費用は、これを五分し、その二を原告の、その余を被告の負担とする。

四  この判決は第一項に限り、仮に執行することができる

事実及び理由

第一原告の請求

被告は原告に対し、金五五〇〇万円及び内金五〇〇〇万円に対する平成元年二月二六日(事故日)から支払ずみまで年五分の割合による金員を支払え。

第二事案の概要

本件は、幹線道路において普通乗用自動車にはねられ負傷した歩行者が、右運転者に対し、自動車損害賠償保障法三条及び民法七〇九条に基づき、後遺障害に基づく逸失利益等の賠償を求めた事案(一部請求)である。

一  争いのない事実

1  事故の発生

<1> 日時 平成元年二月二六日午前七時二〇分ころ

<2> 場所 豊中市新千里西町一丁目一番先国道四二三号線路上

<3> 事故態様 原告が現場道路を横断中、同道路を北進してきた被告運転の普通乗用自動車(なにわ五六た八〇〇一号、以下「被告車」という。)が原告に衝突した(以下「本件事故」という。)。

2  被告の責任原因

被告は、被告車の保有者であり、自動車損害賠償保障法三条の運行供用者にあたる。また少なくとも速度超過の過失がある。

3  損害の填補

原告は、本件事故後千里救急センターにおいて治療を受けたが、右治療費及び文書料七九万七七九〇円を被告において支払ずみである。

二  争点

1  本件事故の態様、過失相殺

(一) 原告の主張の要旨

被告は、約一〇〇メートル先に原告が佇立し、横断を開始しようとするのを認めていたのであるから、警笛を鳴らして被告車の接近を知らせる措置を採るべきであつたことはもちろん、早期に減速・徐行すべき注意義務があつたにも拘らずこれを怠つた。また、急制動直前の時点でも時速約八〇キロメートルの高速度で進行していた。

これらの被告の過失の重大さと、横断禁止規制がなされていないことを考え併せると、原告の過失割合は五パーセントにとどまる。

(二) 被告の主張の要旨

被告は時速八〇キロメートルで北進していたが、約五〇メートル先に中央分離帯で佇立している原告を発見し、直ちに減速している。にも拘らず、事故が発生したのは、原告が被告車が目前に迫つてから車道に出たからである。また、本件事故現場は横断禁止の規制がなされていないとはいえ、車両の通行量が極めて多く、植え込みのある分離帯によつて南行き車線と北行き車線に分断され、人が横断するような形状にはなつておらず、歩行者が横断するという予見可能性は極めて低い。よつて、大幅な過失相殺がなされるべきである。

2  原告の傷害と本件事故との因果関係

(一) 原告の主張の要旨

原告は本件事故により、脳挫傷・右硬膜下血腫、右肺挫傷、右多発肋骨骨折、右血胸、心挫傷、右鎖骨骨折、右肩甲骨骨折、右脛骨・腓骨骨折、腰椎骨折、右横隔膜神経麻痺、呼吸不全の傷害を負つた。

(二) 被告の主張の要旨

原告は、本件事故直前に自損事故を起こしており、原告の主張する傷害は、右自損事故による可能性があり、本件事故との因果関係の立証がない。

3  原告の後遺障害の程度

(一) 原告の主張の要旨

原告は、平成五年四月三〇日、症状固定に至つたが、<1>頭部外傷による精神機能の低下、即ち性格変化、集中力低下、記銘力低下、見当識障害があり、原告が従前研究者として重要な職責を果たしていたのに、事故後は実質的な仕事を与えられず、職場のお荷物的な存在になつたことを考えると、右障害は自動車損害賠償保障法施行令別表後遺障害別等級表(以下単に「等級表」という。)五級二号に当たる。また、<2>胸腹部臓器の障害が等級表一一級一一号に、<3>右足関節機能障害が等級表一二級七号に、<4>右肩関節機能障害が等級表一二級六号に各該当し、併合四級にあたるものである。

(二) 被告の主張の要旨

原告の主張する性格の変化も原告自身はこれを感じていないし、また記憶力も回復し、これまでの経験を活かして技術指導や研究室会議等に参加しており、職場において一定の役割を果たしている。これらのことを考えると、原告の神経系統の障害は、等級表七級四号を上回るものではない。

4  損害額全般 特に逸失利益

(一) 原告の主張

<1> 入院雑費 二八万二一〇〇円

<2> 入通院慰謝料 四〇〇万円

<3> 逸失利益 四七八八万五六九一円

原告に減収はないとはいえ、原告は重大な後遺障害を抱えて、健常者以上の努力、苦労を強いられているものであるから、労働能力喪失説の立場から、逸失利益は肯定され、その労働能力喪失割合は七〇パーセントである。

<4> 後遺障害慰謝料 一八〇〇万円

よつて、原告は被告に対し、<1>ないし<4>の合計七〇一六万七七九一円の内金五〇〇〇万と相当弁護士費用五〇〇万円総計五五〇〇万円及び内金五〇〇〇万円に対する本件事故日からの支払ずみまでの遅延損害金の支払を求める。

(二) 被告の主張の要旨

被告には現実的な減収がないのであるから、逸失利益は限られたものとなる。

第三争点に対する判断

一  争点1(事故態様、過失相殺)及び争点2(原告の傷害と本件事故との因果関係)

1  裁判所の認定事実

証拠(甲二ないし四、一四の一、二、一五の一、二、乙一、二の一、二、乙七、被告本人)及び前記争いのない事実を総合すると、次の各事実が認められる。

<1> 本件事故現場は、別紙のとおり、幅が約六・七メートル(以下の表示はいずれも約である。)の植え込みのある分離帯で分断された国道四二三号線北行き車線の本線及び側道(いずれの幅員も六・七メートル)と、北行き側道に南西方向からつきあたる中央環状線からの合流道路が交差している。

北行き本線道路の東側には、これに沿つて幅一・八メートルの分離帯が存し、その東には、北行き車線とほぼ同規模の国道四二三号線南行き車線が伸びている。

北行き本線道路においては、速度規制はなされておらず、同車線における北進車からの見通しは良好である。

本件事故から約一時間後に行われた実況見分において、北行き本線道路の通行車両は五分間で五〇台であり、平成二年の調査では、全車線で午前七時から午後七時までで六万五三五八台、午後七時から午前七時においても三万八一三四台に及ぶ。しかし、右道路は自動車専用道路でもなければ、横断禁止の規制もなされていない(特に甲一四の二、一五の二、乙一、七)。

<2> 被告は、時速約八〇キロメートルで北行き本線を走行し、別紙図面<3>(以下符号だけで示す。)まで進行した際に、前方四七・九メートルの<ア>に原告の姿を発見したが、速度を六〇ないし七〇キロメートルに減速しただけでそのまま二七・五メートル進行し、<4>において、原告がややふらつきながら前方一九・六メートルの<イ>まで出てきたのを見て、初めて急制動をかけたが及ばず、<5>において<ウ>の原告に原告車前部を衝突させた(衝突地点は<×>)。

原告車はそのまま、<5>から<6>にかけてスリツプ痕二〇・八メートルを残して<6>に停止し、原告は<エ>に転倒した。

実況見分の結果では、<1>から前方九五メートルの<ア>付近に人の上体を植え込み越しに発見することが可能であり、<2>からは前方六八メートルの<ア>付近で人体の全体が見えるとされた。但し、これは走行中の車両からの見通し状況ではなく、道路上に立つて見分した結果による発見可能距離である。

被告車は本件事故によつて、前面ナンバープレートが一部損壊した他、フロントガラス及び屋根の前部が大破した。

事故当時の天候は小雨で路面はやや濡れていた(特に被告本人、乙一)。

<3> 他方、原告は普通乗用自動車(大阪五四つ九三三九号、以下「原告車」という。)を運転して、前記中央環状線から国道四二三号線北行き車線への合流道路を進行していたが、合流地点の六〇メートル手前で、合流道路側壁に原告車を衝突させるという自損事故を起こした(以下「第一事故」という。)。原告はその後原告車を運転し、合流地点付近ので原告車を停止させ、付近で仰向けに寝ていたが、電話をかけに行く意志であつたのか、通行車両に助けを求めるつもりであつたのか、その意図は明確ではないが、<ア>点で佇立の後、<イ><ウ>と歩み、原告車と衝突した。

第一事故の結果、原告車は左前角付近が中破しているが、フロントガラスに損傷はない。

なお、原告は、習慣的にシートベルトを着用している(特に乙一、二の一、原告本人)。

<4> 原告は本件事故後、千里救急センターに搬送され、脳挫傷、右硬膜下血腫、右肺挫傷、右多発肋骨骨折、右血胸、心挫傷、右肋骨骨折、右肩甲骨骨折、右脛骨・腓骨骨折、腰椎骨折等の傷害を負つたと診断され、本件事故後平成元年一〇月一一日まで七か月を超える入院を要した。

原告に第一事故及び本件事故の記憶はない(特に甲二ないし四、原告本人)。

2  過失相殺に関する裁判所の判断

1の各認定事実に照らしてみると、被告は法定最高制限速度を二〇キロメートル超過して、被告車を走行させ、遅くとも<2>において前方六八メートルの原告の姿が発見可能であつたにも拘らず、前方不注視によりその発見ができなかつたものである。更に、<3>において、原告の姿を発見した際には、警笛を鳴らして被告車の接近を知らせる措置を採るべきであつたことはもちろん、早期に被告車を減速・徐行すべきであつたにも拘らず、最高制限速度の程度にしか減速せずに走行した過失がある。

他方、原告は第一事故による動揺や判断能力の低下があるとはいえ、前記認定のように、車道への進入が極めて危険な道路状況であるにも拘らず、被告車が二〇メートルに迫つてから車道上に出た過失がある。

右過失の内容を対比し、前記道路状況、車対歩行者の事故であることを考え併せると、原告の過失割合は二五パーセントとすべきである。

3  原告の傷害と本件事故との因果関係についての裁判所の判断

原告が第一事故後、付近で仰向けに寝ていたこと、本件事故の際ふらつきながら車道上に出て来たことを考えると、原告が第一事故によつて何らかの傷害を負つたこと自体は否定できない。

しかし、第一事故後も原告車は走行可能で大破しているわけではないこと、原告は第一事故後他の車両の交通妨害にならないA地点に原告車を停止させていたもので、この点から原告の判断能力はほぼ正常であることが窺われる。したがつて、第一事故による原告の傷害の程度はさほど重大でなかつたことが推認できる。

これに対して、本件事故は剥き身の人聞が高速で進行してくる車両(スリツプ痕から見て衝突時点で時速六〇キロメートル以上であつたと推認できる。)に衝突されたもので、車の内部にいた第一事故と比べれば身体に受けた衝撃の大きさ、事故の重大さは比較すべくもないものである。したがつて、原告の負つた前記のような極めて重大な傷害は全て本件事故によつて発生したと認められる。

二  争点3(原告の後遺障害の程度)

証拠(甲四、六の一、二、甲九)によれば、原告の胸腹部臓器の障害が等級表一一級一一号に、右足関節機能障害が同一二級七号に、右肩関節機能障害は同一二級六号に各該当すると認められ、被告もこれらの点は少なくとも積極的に争つていない。

主たる争点は、原告の頭部外傷による精神機能の低下が、五級二号に該当するか、七級四号にとどまるかである。

そこで、右の点に絞り、原告の症状の推移について確定する。

(裁判所の認定事実)

証拠(甲二ないし五、六の一、二、甲九、一六、一七、原告本人、証人奥山博信)及び弁論の全趣旨によれば次の各事実が認められる。

1 原告(昭和一三年一〇月三一日生、事故当時五〇歳)は、前記各傷害により事故日である平成元年二月二六日から同年六月六日まで千里救急センターに、同日から同年一〇月一一日まで新千里病院に入院していた。その間事故日から六四日間意識障害が継続し、CTの検査においても、脳浮腫、脳室内出血、くも膜下出血が認められた。

2 その後原告は、平成五年四月三〇日まで高橋診療所に通院(実日数五二一日)したが、同日症状固定の診断を受けた。後遺障害診断書には、「自覚症状としては、疲れやすい、自分では分からないが人から頭がおかしいと言われる。他覚的所見としては、(1)精神・神経症状として<1>記銘力低下、<2>見当識障害(特に場所に対し)、<3>集中力低下、<4>性格変化(短気になり些細なことで激怒する)が挙げられるとともに、(2)頭部CT検査において脳萎縮顕著。」との記載がある(特に甲四)。

3 原告は、従前通商産業省工業技術院大阪工業技術研究所において、材料物理部の薄膜工学研究室の室長として、主導的に研究・部下の指導に当たつていた者である。しかし、症状固定後職場復帰してからは、材料物理部の部付主任研究員に降格され、午前一〇時ころから午後四時ころまで勤務し、部下の指導にあたることはあるものの、従前のように主導的な研究作業はなしておらず、個室でベツドに横になつて休むことも多い。以前は、学術書の読書量が多かつたが、事故後においては、ほとんど新聞・雑誌類が対象となつている。

専門分野での学問知識の大部分は保持されているが、それを活かしての研究作業は、気力・集中力の問題でできないし、敏速な判断力を要する実験作業も不可能である(特に甲五、原告本人、証人奥山博信)。

4 原告は、事故前は温厚な性格であつたが、事故後娘に手を挙げるなど短気な面が出てきており、家族の者は性格が大きく変容したと感じているものの、本人や職場の者はそのことは感じとつていない(特に原告本人、証人奥山博信、同真壁映子)。

(裁判所の判断)

右認定事実に照らし考えるに、原告は事故後長期間の意識障害を伴い、脳萎縮等があり、本件事故による脳への侵襲は極めて強かつたことが認められ、現在の原告の性格変化、集中力・記銘力及び敏捷性の低下、見当識障害は神経系統の機能の障害に基づくものと考えられる。

しかし、右性格変化も一見して明らかというほどのものではない。また、専門的知識の大部分は保持されていること、職場においても一定限度での仕事はできていることを考えると、独力では平均人を著しく下回る労働しかなしえないというものではなく、平均人より劣るとはいえ、他人の指示なくして独力で労務を遂行できる能力を有すると認められる。確かに、現在においては、部下を使い、主導的に研究作業を遂行することが、およそできなくなつたことは認められるが、これは原告のなしてきた仕事が高度の専門的知識、判断力及び実験時の俊敏性を要するからであり、原告の労働能力が一般人に比して、極端に劣つていることの証となるものではない。原告が今まで蓄積してきた専門知識を活かす研究作業を断念せざるをえなくなつたことは、後遺障害慰謝料の加算要素として勘酌するしかない。

よつて、原告の神経系統の障害は、軽易な労務以外の労務に服することができないものとして、等級表七級四号に該当するもので、前記胸腹部臓器の障害、右足関節機能障害、右肩関節機能障害と併せると、その後遺障害は等級表六級に相当すると認められる。

三  争点4(損害額全般)について

1  入院雑費 二七万三六〇〇円(請求二八万二一〇〇円)

前記認定のように原告は平成元年二月二六日から同年一〇月一一日まで二二八日間入院し、その間の一日当たりの入院雑費は一二〇〇円と認める。

2  逸失利益 二三三八万二三一七円(請求四七八八万五六九一円)

証拠(甲一〇の一ないし三、甲一八の一ないし三)によれば、原告は、本件事故当時年九四二万七三九九円の収入を得ていたこと、復職した後においても給与の減額はなかつたことが認められる。

しかし、等級表六級の労働能力喪失割合は自賠責及び労災実務上六七パーセントとされていることは当裁判所に顕著であるところ、原告は現に事実上降格扱いを受けており、後遺障害の存在、特に精神機能の低下が将来における昇進・昇級に影響を及ぼすことはほぼ確実であるうえに、退職後の再就職の機会が狭められることも必至である。そこで、原告の逸失利益は、固定時である五四歳から定年時である六〇歳までは、右給与を基礎額として二八パーセント、それ以後六七歳までは平成四年賃金センサス産業計・企業規模計・学歴計男子労働者の六〇歳から六四歳までの平均年収四二六万八八〇〇円を基礎に六七パーセントの割合で労働能力を喪失したものとして算定するのが相当である。

以上からホフマン方式により、原告の事故時の逸失利益の現価を求めると次のようになる。

<1> 六〇歳まで

九四二万七三九九円×〇・二八×(七・九四五-三・五六四) 一一五六万四四〇一円(円未満切り捨て・以下同様)

<2> 六七歳まで

四二六万八八〇〇円×〇・六七×(一二・〇七七-七・九四五) 一一八一万七九一六円

<3> <1><2>の合計は二三三八万二三一七円。

3  入通院慰謝料 三五〇万円(請求四〇〇万円)

前記原告の傷害の内容、程度、入通院期間、状況に鑑み右金額を相当と認める。

4  後遺障害慰謝料 一二〇〇万円(請求一八〇〇万円)

原告の後遺障害の内容、程度、原告が後遺障害のため、研究者生命が失われたことを考えると、右額をもつて慰謝するのが相当である。

第四賠償額の算定及び結論

一  損害総額

第三の三1ないし4の合計額は、三九一五万五九一七円である。これに、前記(第二、一、3)治療費等七九万七七九〇円を加えると三九九五万三七〇七円となる。

二  過失割合

一の金額に第三の一2認定にかかる被告の過失割合七割五分を乗じると二九九六万五二八〇円(三八五一万〇〇八九円×〇・七五)となる。

三  損害填補額

二の金額から損害填補額七九万七七九〇円を差し引くと、二九一六万七四九〇円となる。

四  弁護士費用

三の金額、本件審理の経過・内容に照らすと相当弁護士費用は三〇〇万円である。

五  よつて、原告の被告に対する請求は、三、四の合計額三二一六万七四九〇円及び内金二九一六万七四九〇円に対する本件事故の日である平成元年一月二六日から支払ずみまで年五分の割合による損害金の支払を求める限度で理由がある。

(裁判官 樋口英明)

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